Vol.2 宇宙ホテル「クリスタルスペースパレス」後編

アメリカまで来た男・航空宇宙エンジニアとしての道 

今回は、五月女さん個人がどうしてアメリカに来たかということと、アメリカ到着後の活動に焦点を当ててみよう。

五月女氏が宇宙旅行に最初に興味を持ったのは、7歳のとき。ジョージ・ルーカス監督の「スター・ウォーズ」シリーズを観て宇宙にとりつかれたのだという。「スペースシャトルコロンビア号が初飛行したとき僕は9歳で両親がテレビを観て騒いでいたので覚えているのですが、案外たいしたことないな、と現実を見てがっかりしたことを覚えています」

スターウオーズにはまってしまっていた彼は、最便型宇宙船の開発で精一杯のその当時の宇宙開発のレベルを知って、「気軽に車みたいに、ひゅひゅっと宇宙に行けるような」、もっと進んだ宇宙旅行の開発に関わる仕事につきたいと、学生時代を夢見て過ごした。

   
 

五月女剛(さおとめ・つよし)

夢追っかけ歴25年

宇宙工学で有名な東京工業大学を卒業後、川崎重工の航空宇宙に携わる部署に就職する。彼のその当時の夢は、川崎建設で社長にまで登りつめ、宇宙船建設の部署を大幅増設することだった。「自分で宇宙船をつくって飛ばそうと思った」しかしながら、就職してすぐ「やめようと思った」。保守的な会社の雰囲気に、社長になることはまず無理だし、仮に社長になれたとしても65歳くらいになっているだろう。それなら自分で会社をたてたほうが早いと思った」

四年間川崎重工で働いて貯金をし、その後アメリカでMBAをとって自らビジネスを立ち上げることを決意する。「『川崎大学』と思って、4年間がんばろうと思いました」と彼は冗談交じりに話す。希望の宇宙船部門には入れなかったが、飛行機部門で航空解析学を上司からみっちり学び、2000年末に退職した。

2001年に渡米し、その一年目でMBA受験に挫折した。

2年目には、経済産業省支援の南カリフォルニアビジネススクール日本人企業家育成プログラムに参加、火星旅行のシュミレーションをつかったビジネスをはじめようと、アメリカ人のビジネスパートナーまでできたのだが、それも、結局、コンピューター・グラフィック系統の仕事であり、自分が川崎建設で学んできた航空工学の知識は無駄になってしまう。ビジネスパートナーと話し合いをつけ、五月女さんはエンジニアとしての知識をあくまでも生かせる職業につこうと考える。

「SONYがあれだけ有名になったのも、技術の井深さんと営業の盛田さんのコンビがあってこそでした」と五月女さんは話す。

2003年には、NPO法人、 ザ・スペース・ツーリズム・ソサエティ・ジャパン  The Space Tourism Society Japan (STSJ) を設立、一般の人の意識を高めることに挑戦。ウエブサイトで近年始められる民間宇宙旅行の情報を明確にまとめるだけならず、日本、ロサンゼルスから希望者を募って、ロサンゼルスの科学博物館、大学の宇宙研究施設をまわる4日間のツアーを年に二回実施もしている。

2004年には、UCLAの博士過程に合格。これからは研究活動をしつつも、まわりの啓発に努めていくつもりだ。

「宇宙の広大さに比べると、私の悩んでいることなどばかばかしくなるくらい小さいことです。そう考えて、これまでの挫折を乗り越えてきました。これが私のフィロソフィーです」

 

 

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